「お言葉どおり」

1999年12月19日

ルカによる福音書第1章26~37節

辻中徹也牧師

 

  • 1999年は政治・経済・環境・教育そして宗教の分野にも暗い影がさした年でした。私たちの教会には光が与えられました。中高生が与えられ、二人の幼子が与えられました。一人ひとりがその人らしくあることが私たちの宣教であり、一人ひとりが宣教の主体です。この光を、影が濃くなる世界に掲げていきたいと願います。

  • イエスの誕生の告知を受けたマリアは「まだ男の人を知りませんのに」と答えました。生まれてくる神の子がヨセフの血統に属することを超えた神の聖霊による子であり、民族的な狭い権威や価値を超えていくことに著者は意味を見出しています。

  • 「主があなたと共におられる」ということは、いかなる人間の願望や期待や思惑をも超えて神の救いが実現することを示します。「お言葉どおりこの身になりますように」というマリアの決断は限界を持つ一切の権威や価値を超えて働く、神による権威、神による価値によって生かされ、生き抜くことを意味しました。

  • 星野富弘さんが頚椎を損傷し手足の自由を奪われたとき、再び生きる力を得たのは、ある墓に刻まれた聖句を思い起こしたからです。「私のもとへ来なさい。休ませてあげよう」との言葉は、幼子を失ったキリスト者である両親が墓に刻んだものでした。星野さんの口に筆をとらせ、絵や詩を描く力を与えた信仰の原点に、生まれてまもなく召された幼子の死があったことを後にその両親は知り、その死の意味と慰めを見出されました。神による権威、神による価値が、人間のものさしを超えて働いたのです。

  • 星野さんが草花を見るそのまなざしは、主イエスのまなざしでもあります。道端の小さな花のような民、虫に食われた葉っぱのような徴税人、折れてもなお起き上がろうとする茎のような病人や障がい者、夏の陽で焼かれたような罪人と呼ばれた女たちや男たちをイエスはいとおしみ、体に触れ、心に触れ、魂を力づけられました。そのようにして神の国が到来したのです。人間の権威や価値から自由に解き放たれて、静かにひとりと向き合いつづけた主イエスの小さいけれども大いなる出来事が、「お言葉どおり、この身になりますように」というマリアの小さな決断から生まれました。この決断が私の決断として、クリスマスを祝う今日、与えられますように共に祈りましょう。 

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