「主の食卓」

1999年10月10日

ルカによる福音書 14章15〜24節

辻中明子牧師

 

  • イエスは、私たちを共に生きる相手として「主の食卓」に招 いて下さっています。

  • 「大宴会」のたとえによると、①財産や家族を理由に招きを 拒むグループ。②貧しい人、体の不自由な人ゆえに招かれた グループ。③さらに、強制的に、無理にでも招かれるグループ が登場しています。①のグループは、私たちの姿と重なりま すし、②のグループは、成程イエスのいつものメッセージと重 なります。③のグループの登場の意味はなんでしょうか。イエ スは③の人々をより強く招いているのではないでしょうか。

  • イエスの招きとは、私たちの決断や判断が優先したり、招か れるための納得の理由があったりするのではなく、私たちの状況にお構いなく、在る意味で強制的で無理やりともいえる迫力 があるのです。

  • イエスの「強制された招き」が無かったなら、私自身洗礼を うける時も、牧師への決断も含めこうして教会に連なってはいなかっただろうと思います。私の思いを超えて、神は本気で招 いてくださることに、大きな喜びを感じます。 共に「主の食卓」にあずかりましょう。

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