「聖書の主題」

1999年7月11日

創世記 第12章1~3節

村川政勝牧師(北見望が丘教会)

 

モーセ五書の編集者の一人、Jという人は、イスラエルの使命を土地取得という課題か ら他民族への祝福という宣教によってとらえ直した。十字架の救いを得ることだけが私 たちの目的ではないように、共に他者を祝福するかどうかという課題がある。 民数記25章のバアル・ペオルでのイスラエルの背信、22~24章のバラムの託宣で もわかるように、イスラエルは大いなる国民になっている。イスラエルが大いなる国民 になったことの意味は、彼らが与えられた使命を果たしうるかどうかにかかっている。 祝福を諸民族に及ぼすこと。この使命を果たすかどうかそれがイスラエルの課題。現代 の教会の課題でもある。 ダビデ、ソロモンの時代は栄光の時代である。しかしJは、その時代を批判的に見る。 栄光の時代だから、人々は得意になっているけれども、そこでかえって人間の脆さを見 ている。それが時代への批判になっている。 祝福を及ぼす使命は、創世記13章では異民族との住み分けとして描かれている。18 ~19章では、アブラハムによるソドムのとりなしに示されている。26章では、イサクがペリシテ人と平和の契約を結ぶことによって祝福を及ぼす使命が果たされている。 37章から始まる「ヨセフ物語」も、相手を祝福してそれが自分の祝福になることの実 現が記されている。 礼拝の祝祷は終わりの合図ではない。
礼拝において主から祝福をいただいた者が、世界 を祝福するために派遣されるのである。

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